20240419


WORLD WITHOUT WORKを読んだ。テクノロジー失業について論じた本で今後起こり得る事態についてその対策を示している。大きくは以下の2つの問題になるかなと思った。

1つは富の分配の問題で、AIによって仕事が代替されれば多くの人間は失業して賃金が得られなくなる一方、その生産手段を所有する資本家に富が集中し格差が拡大する。これは労働を前提とした今の社会福祉を拡充するだけでは対応しきれない。例えば所得税は労働者がいなくなれば成り立たないし生活保護も正当な理由なく就労しない者は認めないというスタンスである。そのために従来型資本に対する徴税の仕組みを構築しベーシックインカムを導入するというような新たな分配の方法を計画する必要があるという話になる。ただ筆者の提案するコミュニティの認識を通じて"活動"に価値を割り当てるCBIは人気投票で所得の分配を行うようなものでこれはディストピアだなという予感がした。まだ市場原理に任せた方がマシなのでは。

2つめには生きがいの問題で、仕事によって生きがいを得ている多くの人間はどうするのかという。ただ狩猟採集時代は意外と労働時間は短かったという事実からジェームズスーズマンによる「我々には労働によって定義されない充実した人生を送る能力が十分に備わっている」との指摘は希望だと感じた。筆者は政府が人々の生きがいに積極的に介入するべきと主張しているがむしろこれは生物としての人間の本来的な在り方に戻るわけで、労働は善であるというイデオロギーから解放されれば色々と策を講じるまでもなく人々はすんなり適応できるのではという気もした。

20240416


カメラとレンズのしくみがわかる光学入門を読んだ。イラストの感じからパッと見は子供向けっぽいが内容はちょうどよかった。
色収差の補正がレンズ設計の難しさの1つならモノクロ専用にレンズ設計をすればこれを無視できるわけで性能はどの程度向上させられるかなど気になった。またカラーフィルターを取り付けたレンズで撮影すれば原理的には色収差がなくなるので画質が向上するものだろうか。Bayerだと1色以外の画素を捨てることになるのでそちらのデメのが大きそうだがFoveonであればその問題はないはずなのでいつか試してみたい。

20240415


バーに行った時のウイスキーが美味しかったので趣味としてはじめようかと思ったもののバーは高いし、買うにも最低単位が1瓶なので色々試すには不便という問題に気付いた。そこで味の趣味としては代わりに1缶単位で買える上に値段も知れてるクラフトビールがいいのではと思った。
比べるためには味を記憶ないし記録している必要があるわけでこれはどうするべきなんだろうか。ソムリエはどうするかというと味を構成する要素となる表現を記憶しておきその組み合わせによって味を認識しているところもあるっぽい。確かにウイスキーもバーテンダーから味についての形容があったものについては何となく覚えている気がする。結局人は言語の檻から脱することはできないのか。ただ自分を鑑みるとモノによっては視覚的なイメージと紐づいている部分もある気はする。またこういう話になると母語によって味覚に差が生れるのかというようなことが気になってくる。ソムリエの表現として「猫の尿」「濡れた犬」「腐葉土」などがあるらしくネタにされているようだけど識別が上達しても食の満足度としては下がるということが起こりそうだなと思った。

20240414


“いい写"を見るのが好きだ。これを効率的に収集するにはどうすればいいだろうと思う中で写真の価値について考えるようになった。現時点では以下の4つの価値に分類できるのではと思っている。

  1. ビジュアルそれ自体の価値
    対象、撮り方の2つに大別
  2. 事実を伝達する手段としての価値
    報道写真やSNSにアップされる写真など
  3. 記憶を補助する手段としての価値
    家族写真など
  4. 別の価値に紐づく価値
    歴史、撮影者などの価値に紐づく

自分がフォローしているいくつかのXのアカウントをこれで分類してみる。

  • SHIBUYAMELTDOWN
    酔い潰れてる人のビジュアル的な面白さは1。東京の夜で起こっている事実を伝達しているという意味で2。
  • ちょっと昔の日本の景色bot
    主に2だが当時を生きた人にとっては3もありそう。
  • 上田優紀
    単純に景色の美しさとして1。その景色が存在することや彼がそこに到達したことを示す意味で2。
  • 計画計画
    対象はありふれているものの切り取り方の面白さで1。自作のレンズで撮られているという価値で4。

いわゆる多くの写真垢が自分にとってつまらないのは1のさらに狭い範囲である撮り方にのみ拘泥しているように映るからで、ただこれは写真が目的化している時点で不可避なのかもしれない。前に初めて写真美術館に行ったのはは写真のプロって素人と何が違うのか確かめたいという穿った1目的からでこれはその回答になる。構図やカメラの設定云々というのはあまり大差ない気がする。

東京都写真美術館の「記憶:リメンブランス」という展示をみた。というかそのうえでまとめたのが上記なのだが。マルヤビリヤのカメラオブスクラが絵としても美しくその手法が効果的に人となりを表していてよかった。あと村上悟朗の手書きで教師データ作ってそれをGANでどうこうするみたいなのは面白そうだった。細かい手法や意図は解説がなかったのでよくわからなかったけど。これらに共通するものとして自分は画像を得るための手法に面白さを感じるなと思った。これは後付けだが写真特有の手法は映像に代替できないからかもしれない。
小田原のどかの展示でその解説というかむしろそちらが本体なのかもしれないが、印刷された巨大な紙が配布されておりその前で逡巡する人を見てるのが面白かった。持って帰るからにはそこにある説明も読まないわけにはいかないと思うのでうまいやり方だと思った。自分は諦めた。


  1. 誤用だと今知った ↩︎

20240413


ある画家の数奇な運命をみた。ゲルハルトリヒターをモデルにした映画でずっとウォッチリストに入れてたのをホンマタカシの本で思い出した。3時間と長尺で前半の西ドイツに渡るまでは退屈だったが美大に入ってからは面白かった。抽象画に至るまでの話を期待していたのもあってフォトペインティングまでだったのは残念。
2回目の義父がアトリエに訪れるシーンは出来過ぎではと思ったが、そもそも伝記的な映画ではなくインスパイアされたフィクションという体裁だったよう。リヒターとこの映画の関わりについては以下の記事がよかった。
http://indietokyo.com/?p=14077

20240411


東大のブロックチェーンの公開講座の初回を受講した。合わなければやめればいいかと深く考えずに応募したがちょうどよさげなので続けようと思う。ブロックチェーン自体はおもしろいなと思いつつも、NFTにはじまり関連のビジネスがなんか胡散臭いものばかりに見えてその本質的なところを分かるようになりたいなという気持ち。

20240410


たまにに散歩に出るくらいでほとんど運動習慣がないことに問題意識があり、何かを探し続けて1年近く経つのだがリングフィットアドベンチャーはガチという記事を見かけて試してみるかとなった。
注文していたのが届いたので2ステージ進めたのだけど操作感やフィードバックの心地など総合的な体験がよすぎてかなり感動した。これってSwitch設計時に既に構想があってのものなのかな。
運動としては自分にとってはかなりしんどくて、はじめの選択画面でつい「しっかり」を選んでしまったがこれは下げないと挫折しそう。1周はがんばりたい。

20240409


長らく積読だった記号と再帰を読み始めた。3章まで。記号論ではソシュールの二元論とパースの三元論の対応が問題になっているが、シニフィエを直接対象に、解釈項を差異として捉えることでうまいこと整理できるという話だがあまり納得はできてない。その例としてHaskellとJavaのプログラムが示される。ただプログラム自体も結果は同じであっても意味は異なるわけでそもそもここを対応させることにどのような意義があるのかは現時点でよくわからなかった。しんどさの割にモチベがイマイチなので続きはまたでいいかな。

ブギーナイツをみた。当時のアメリカや元ネタ、曲などを知らないせいかあまりだった。薬中の富豪のシーンはよかった。

20240407


ホンマタカシの換骨奪胎を読んだ。写真の歴史や手法、芸術としての位置づけなどの概要が知れたのでよかった。ただやっぱり芸術としての写真というのは絵や映画に比べると半端だなという印象。美しい報道写真の批判はなるほどと思った。自分も過去に撮った写真を見直す過程で記憶が改竄されている自覚がある。少なくとも"記憶を思い出す装置としての写真"が目的であれば変に凝ったりするべきではなくスマホで適当に撮っておくくらいがいいのだろうな。

今日は近所に桜を見に行った。満開の綺麗な桜の写真ばかりを残していると今年であれば満開の前に葉桜になってることが珍しいなと思ったがそういうことを忘れてしまいそうだ。

20240406


ディーン、君がいた瞬間をみた。特に残るものはなかったがジェームズディーンのなんかを見ようと思った。