20240414

Posted on Apr 14, 2024

“いい写"を見るのが好きだ。これを効率的に収集するにはどうすればいいだろうと思う中で写真の価値について考えるようになった。現時点では以下の4つの価値に分類できるのではと思っている。

  1. ビジュアルそれ自体の価値
    対象、撮り方の2つに大別
  2. 事実を伝達する手段としての価値
    報道写真やSNSにアップされる写真など
  3. 記憶を補助する手段としての価値
    家族写真など
  4. 別の価値に紐づく価値
    歴史、撮影者などの価値に紐づく

自分がフォローしているいくつかのXのアカウントをこれで分類してみる。

  • SHIBUYAMELTDOWN
    酔い潰れてる人のビジュアル的な面白さは1。東京の夜で起こっている事実を伝達しているという意味で2。
  • ちょっと昔の日本の景色bot
    主に2だが当時を生きた人にとっては3もありそう。
  • 上田優紀
    単純に景色の美しさとして1。その景色が存在することや彼がそこに到達したことを示す意味で2。
  • 計画計画
    対象はありふれているものの切り取り方の面白さで1。自作のレンズで撮られているという価値で4。

いわゆる多くの写真垢が自分にとってつまらないのは1のさらに狭い範囲である撮り方にのみ拘泥しているように映るからで、ただこれは写真が目的化している時点で不可避なのかもしれない。前に初めて写真美術館に行ったのはは写真のプロって素人と何が違うのか確かめたいという穿った1目的からでこれはその回答になる。構図やカメラの設定云々というのはあまり大差ない気がする。

東京都写真美術館の「記憶:リメンブランス」という展示をみた。というかそのうえでまとめたのが上記なのだが。マルヤビリヤのカメラオブスクラが絵としても美しくその手法が効果的に人となりを表していてよかった。あと村上悟朗の手書きで教師データ作ってそれをGANでどうこうするみたいなのは面白そうだった。細かい手法や意図は解説がなかったのでよくわからなかったけど。これらに共通するものとして自分は画像を得るための手法に面白さを感じるなと思った。これは後付けだが写真特有の手法は映像に代替できないからかもしれない。
小田原のどかの展示でその解説というかむしろそちらが本体なのかもしれないが、印刷された巨大な紙が配布されておりその前で逡巡する人を見てるのが面白かった。持って帰るからにはそこにある説明も読まないわけにはいかないと思うのでうまいやり方だと思った。自分は諦めた。


  1. 誤用だと今知った ↩︎